日本材料学会コラム〜移動手段〜

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移動手段(1):新幹線
幼稚園の時に、 夢の超特急という絵本を見ました。0系のひかりでした。初めて乗ったのは1975年の修学旅行です。岐阜大学に勤めていた頃は、名古屋−東京間を頻繁に新幹線で移動しました。新幹線は大好きです。みどりの窓口で予約券を買っていた頃は、希望を言うと駅員さんが迷いなく電車と席を選んでくれましたが、今はスマートEXを使って自分で選ぶ時代になりました。選択肢が多過ぎで迷います。そこで考えたのは、小田原からひかりに乗るという選択方法です。2時間毎に小田原−名古屋ノンストップのひかりがあり、迷いはなくなりました。小田原駅では、のぞみが全力疾走で走り抜けます。こんなに早かったのかと気が付き、もっと新幹線が好きになりました。

移動手段(2):新幹線の車軸
私の故郷は 高知県安芸市で、昔は阪神タイガースの一軍がキャンプに来ていました。村山、江夏、田淵の時代です。町には 土佐電気鉄道安芸線があり、1974年に廃止されるまで国鉄後免(ごめん)駅と繋がっていました。26.8 kmに24駅もあり、1時間近くかかっていたように思います。龍谷大学の中村 宏先生から、新幹線車軸の疲労についてのご講演を拝聴した時、き裂が発生した新幹線車軸は、我が土佐電鉄安芸線で再利用されていたらしいことを知りました。新幹線の高速走行に疲れた車軸は、き裂を削り落として私の移動手段となっていたことに、郷愁の念を抱きました。真偽は定かでありませんが・・・なお、土佐電鉄安芸線では、 阪神電鉄の中古車が使われていたそうです。

移動手段(3):自転車
いにしえの母校である 安芸第1小学校では、1960年代に自転車の免許試験が行われていました。無免許運転をしていると、上級生から厳しい制裁がありました。自転車免許は必携アイテムです。小学3年生の時に、初めての免許試験に挑戦しましたが、8の字走行でコースアウトして不合格となりました。次の免許試験は半年後です。友達のほとんどは合格したので、地獄が始まりました。半年間、自転車を走って追いかけました。半年後の試験で合格した時は本当に嬉しく、無限の行動範囲を得た気分でした。 大学時代にはサイクリング部に入り、全国を自転車で走り回りました。移動手段として自転車は最高です。無料で移動でき、浮いたお金でビールを美味しく頂けます。

移動手段(4):自動車
実は中学生の時に、初めて本物の自動車を動かしました。もちろん無免許なので私有地の広場で、父の パブリカ1000に挑戦しました。遊園地のゴーカート大好き少年だった私は、自信満々でアクセルを踏み込んだところ、オーバーレブ寸前まで吹き上がりました。遊具と本物は別物でした。クラッチ操作も極めて敏感で、エンストの嵐でした。我が家では、父の運転技術の評判が良くなかったのですが、見る目が変わりました。18歳で免許を取り、25歳で レビンを買い、30歳代には国際免許でアメリカやヨーロッパを走り回りました。ヨーロッパのレンタカーは、左ハンドルのマニュアル車です。最初は四苦八苦しましたが、運転感覚は最高です。

移動手段(5):路線バス
路線バスには極力乗らないようにしています。シートベルトをしないで自動車に乗るのは、ノーパン&ズボンで外出するように無防備です。運転手のシートベルト非装着が減点となったのは 1987年からですが、私は1977年の運転免許取得時から、必ずシートベルトを装着していました。父の厳しい指導です。1991年にエアバッグ&ABS付き シビックに乗り始め、 現在のヤリスには自動ブレーキも付いています。乗用車の安全装置がこれだけ進化したのに対して、路線バスは立ち乗りのままです。自動運転が劇的に進化して、路線バスが新幹線並みに安全になった暁には、私も安心して路線バスに乗れるようになるかもしれません。

移動手段(6):徒歩
京都で路線バスに乗りたくない私には、徒歩が有力な移動手段です。材料学会に行くときは、京都駅から地下鉄で今出川に行き、約20分間の徒歩です。汗の出ない冬場には、京都駅から鴨川の左岸を出町柳まで上がり、 材料学会まで60分余りの徒歩という選択肢もあります。祭りなどを避ければ、徒歩は渋滞することがなく、確実に時間の読める移動手段です。しかも無料で、浮いたお金でビールを美味しく頂けます。春や秋には、哲学の道から南禅寺、嵐山周辺を散策するのも楽しみです。ありがたいことに、自動車や自転車と違って、ビールを頂いた後でも移動可能です。