筆者の研究分野は材料強度学と呼ばれていて,前向きな書き方をすれば,「安全で経済的なものづくりの基礎」である.そのなかでも,「材料の疲労」が最も興味のある分野であるが,名前を聞いただけでも暗い.材料科学概論の授業で金属疲労を竹本教授が教えるとき,「金属が小川みたいに疲れた顔になって壊れる」と言っているらしい.ひげを剃っているときの自分の顔を思い浮かべると,悔しいが否定できない.この研究を始めた1980年頃に「金属疲労」という用語は社会に認知されてなかった.例えば,「針金を切りたいときにペンチがなかったらどうする?コネコネするでしょう?あれが金属疲労です.」「フーン.そんなこと研究して役に立つの?」といったところである.高知の田舎にいる母に私の研究が認知されたのは,1985年の日航ジャンボ機墜落事故である.修理ミスを発端に,後部圧力隔壁に疲労き裂が発生し,50センチぐらいの長さになったところで吹き飛んだ.尾翼も吹き飛ばされて墜落し,520名の命が失われた.母は「怖い」と言っただけで,それ以上は聞かない.材料強度学は事故の原因究明を行い,同じことを繰り返さないようにすることを目的としている.こんなことでは,予算要求のとおる筈がない.
古くから研究されてきた分野なのに,疲労破壊はなくならない.国の威信をかけて開発中のH2ロケットも流体振動と金属疲労の複合効果で事故を起こしたとされている.事故報告書の結論は出たが,十分な説明ができていない.しかし,壊れたことは間違いなく,原因の見極めを間違えば事故は再発する.材料強度学を専門とする設計者の見る夢は,悪夢以外にない.ところで,材料開発の分野では良い夢が見える.ともすれば,材料科学の分野として同一視される傾向があるが,明るさが違う.先端技術の実現を支えるのが新材料の開発である.新しい耐熱・耐環境材料は発電所の効率を上げ,航空機を軽量化させ,宇宙開発の夢を実現している.H2などの例外はあるが,破壊するのは作られてから,ある程度の時間が経過してからである.夢が実現されたフィーバーの冷めた後で,材料強度学が必要になる.30年前に作られた原子力発電所は,当初の耐用年数が40年とされていた.しかし,昨今の社会情勢(新たな立地が難しい)を考え,検査の見直しによって60年まで使うことになった.壊れたら材料強度屋の責任である.
学会としての危機感もある.今春行われた日本機械学会材料力学部門のシンポジウムでは,「材料力学の未来:21世紀を生き抜くために」という主題のもとに講演が集められた.一見明るそうな主題であるが,「今の材料力学に未来はない:21世紀を生き抜くために必要なことがわからない」と聞こえる.材料強度屋が考えておかなければならないのは,ナノテクノロジーではないかと思う.材料強度が寸法に依存することは古くから知られていたが,近年注目されているマイクロマシンのように小さくなったらどうなるか,今のところわからない.数年前に日本材料学会にマイクロマテリアル部門委員会が発足し,筆者も委員になっている.しかし,研究対象にするものを自分で作ることができない.入手の目処が立たないので予算要求もできない.結果として,何ら有効な活動ができていない.我々にはパラサイトしか手がないのかもしれない.前向きな言い方をすれば,共同研究である.本年度から認めていただいた筆者のプロジェクトは,材料開発屋に筆者が上手くパラサイトできるかどうかにかかっている.いかにも他力本願で暗くなる.
若手の不安もある.機械創造工学科3年生の「材料強度学」という講義を担当している.選択科目なのに受講者が多い.何のことはない,学生実験の前の授業だからである.それでも,履修した学生は材料強度学が大切だということはわかってくれる.しかし,材料強度の研究分野を志す学生は殆どいない.暗い夢しか見えないから仕方がない.メーカーでも材料強度関係部門は縮小の一途である.このままでは,高速増殖炉もんじゅを止めて,日本の核燃料サイクルを破壊した温度測定用の鞘管のような設計が頻発するかもしれない.この鞘管の設計者は,応力集中と流体振動を理解していなかった.明るい専門分野に進む学生も暗い分野に目を向けて欲しいと思う.講義の工夫もした.しかし,母と同じように「怖い」で片付けられてしまうことが多い. こんなに暗い分野なのに筆者は楽しい.最初の経験は,大学3年の夏に重電メーカーのポンプ開発部で行った現業実習である.テーマは羽根車の観察できるモデルポンプにキャビテーションを発生させ,音響計測から予測するものであった.ストロボで観察している羽根車の塗装が見る見るうちに剥がれた.不思議だった.卒業研究では,金属に出来た疲労き裂を観察した.金属疲労の研究は辛い.100万回(3時間ぐらい)の繰返し負荷を行ってき裂長さを顕微鏡で測ることを,数日間徹夜で繰り返す.当時はコンピュータ制御で実験する技術がなかった.実験中,試験片を眺めながら,き裂先端に思いをはせた.時には,「おまんコンナニなっちょたガカ」(誤解防止のため文節をカタカナで示す)と思わず土佐弁で叫んだ.意味は「おまえ(き裂のこと)こんな風になっていたのか」であり,試験片に話しかけていた.はたで見ていると,多分暗い.
家内がタイムマシンのイラストを描いた.材料強度屋は応力集中部の破壊が心配だ.何時破壊するかを予測する.タイムマシンが過去に行くことを考えなかった.こんな発想をしないと,いつまでも暗い話しか書けない.