疲労き裂発生

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はじめに
 疲労き裂発生は、立場によって定義が大きく異なる。材料科学者は、高分解能の顕微鏡を駆使して極めて小さな欠陥(10-3 mm以下)を見つけ出し、き裂発生と定義する。一方、プラントの保守管理者は、非破壊検査の検出限界である1 mm程度をき裂発生と考える。ただし、疲労機構の観点からは、単一の定義が出来ると考えている。疲労き裂進展は、き裂先端前方に破壊力学に従う応力分布が発生し、き裂開口によるき裂先端の塑性変形によって、き裂先端が前方に位置を変える現象である。疲労き裂進展には下限界値が存在し、破壊力学パラメータが下限界値以下の場合には、疲労き裂は進展できない。ところが、き裂の存在しない(破壊力学パラメータがゼロ)場合であっても、応力振幅が大きければ微小き裂が発生して成長する。微小き裂の成長は、下限界値以下で疲労き裂が進展することを意味しており、明らかに矛盾している。これが微小き裂問題であり、1980年代に取り組んでいたが、結論に到達できなかった。その原因は、疲労き裂進展の下限界特性が本当に存在するかを確かめられなかったことによる。2010年代になって、超音波疲労試験で疲労き裂進展の下限界特性について測定可能となり、微小き裂問題は、疲労き裂発生現象を進展現象と誤認していたことに過ぎないと理解した。以下では、疲労き裂進展の下限界特性について説明を加えた後に、微小き裂問題と関連させて疲労き裂発生について議論する。
疲労き裂進展の下限界特性
 超音波疲労試験で疲労き裂進展の下限界特性を最初に検討したのは、2014年度修士修了の中村勇太君であるが、特異な現象の確認が出来て論文として発表されたのは2019年になってからの 加藤俊輔君、鈴木俊平君および中村勇太君の論文である。中村君の実験によると、乾燥空気中では明瞭な下限界特性を示すが、湿潤大気中では下限界特性が認められず、極低速度のき裂進展が複数のアルミニウム合金で確認された。この挙動は鈴木俊平君によって確認されたが、メカニズムは疲労ではなく、摩耗現象によるものと考えられた。乾燥空気中で水分の凝縮がなくなると、き裂進展は明確な下限界挙動を示す。
 以上のように、疲労き裂進展が開始すると、直ちに10-10 m/cycle程度の進展速度が観察されるようになる。 右図は、小川が修士論文(1983)に示した未公表のデータをフラクトシンポジウムの講演論文として公表したものである(1)。試験片は 小林英男先生と小島誠治さんの論文と同様である(2)。試験方法は 小川の最初の学術論文で提案した最大応力拡大係数一定試験である。油圧サーボ疲労試験機での実験であったことから、き裂進展速度の下限値は、10-10 m/cycleである。 河野右近君と深田直也君の論文では、超音波疲労試験で10-14 m/cycleまで測定して、右図の折れ線のような下限界値とき裂進展特性の近似線を提案している。40年近い時を隔てた実験結果であるが、7075の近似線はプロットとほぼ一致している。明瞭な下限界値の存在は、Ni基鋳造合金についても確認されており、 櫻井啓吾君と宮井悠真君の論文で示されている。
  河野君と深田君の論文では、圧縮側の平均応力の影響も調べた。圧縮側の繰返し応力だけでは、き裂が発生しても進展は継続せず、停留に至る。引張側の繰返し応力成分が下限界値を超えると、急激にき裂進展速度が増加する。ここで、下限界値およびき裂進展特性は、高応力比の実験で得られるき裂閉口の関与しない特性であり、最大応力拡大係数一定試験によって簡便に測定できる。超音波疲労試験を用いなければ、10-10 m/cycle以下のき裂進展速度域で明瞭な下限界特性が存在することを明らかにすることは出来なかった。
微小き裂進展
 超音波疲労試験でき裂進展の下限界特性と応力振幅に依存したき裂発生挙動が明らかになったので、岐阜大学で1989年に行なった研究を再検討した。 戸梶惠郎先生と亀山宜克君の論文では、微小き裂進展挙動とフラクトグラフィを詳細に関連付けた。この研究では、7075合金の平滑試験片を用いて,応力比R = 0, -1 および-2 の微小き裂進展挙動を観察した。その結果、せん断型の第T段階き裂が発生および進展し、引張側の応力振幅と第T段階き裂の深さから算出される有効応力拡大係数範囲が下限界値を超えると、き裂進展挙動に基づく第U段階になることを示している。なお、この研究の破面観察では、 画像処理を用いたステレオ観察法で、第T段階き裂の断面形状を再構築した。
  河野君と深田君の論文では、第T段階き裂が第U段階き裂に遷移できる限界付近の挙動を、超音波疲労試験で観察したものである。上記の微小き裂進展挙動は、第T段階き裂が第U段階き裂に遷移する同じ現象を観察したものであるが、試験応力が高いことから遷移時にき裂進展速度の急激な変化は認められていない。
疲労き裂発生
 破壊力学に基づけば、第T段階き裂の成長は有効応力拡大係数範囲が下限界値以下の挙動である。すなわち、第T段階き裂は材料力学パラメータの応力またはひずみが成長の駆動力である。破壊力学パラメータが関係ないので、第T段階は疲労き裂発生段階であり、き裂が進展するように見えても、き裂進展段階ではない。 戸梶惠郎先生と亀山宜克君の論文では、緒言の中で第T段階き裂の成長を 戸梶惠郎先生と原田行雄君の論文で定義された微視組織的微小き裂の進展と考えている。この時には、疲労き裂進展の下限界特性が明確に存在することに確信がなかったことから、き裂発生と進展の明確な遷移点であると結論できなかった。
 軸受鋼の超高サイクル域の研究において、 石田 渉君と山本 徹君の論文でビーチマーク法を用い、内部疲労き裂の進展特性の測定に成功した。ODAと呼ばれる介在物まわりの領域も徐々に進展していることがわかった。き裂進展速度は、ほぼ一定の応力拡大係数を超えると急激に増加し、その後応力拡大係数範囲の増加に伴って徐々に増加するようになる。このことから、ODAはき裂発生段階で、き裂進展速度が急上昇する直前が、疲労き裂進展の下限界状態と考えることもできる。この実証には、真空中の下限界値が必要である。

参考文献

(1)
超音波疲労試験の紹介とき裂発生および進展挙動の観察(小川武史),第17回フラクトグラフィシンポジウム講演論文集, pp. 13-17 (2022-10).
(2)
アルミニウム合金の疲労き裂進展抵抗(小林 英男, 小島 誠治, 中村 春夫, 中沢 一),材料,31巻,346号 (1982),pp.675-679.